武士道の究極的理想は平和?!

新渡戸稲造の著書武士道に「刀とはサムライの魂」とあります。刀は「武士の魂」であり、力と武勇の象徴でした。マホメットは「剣は天国の鍵でもあれば、地獄の鍵でもある」と宣言しましたが、その言葉は日本人の感情にも響いたことでしょう。サムライは幼い時から刀の用い方を学び、五歳から真剣を腰に差すことによって武士の資格を認められます。十五歳で成年となり行動の自由が許されるようになると、武士のどんな仕事にも役立つ十分な鋭い刀を持ち、自身に誇りを持つようになります。まさに危険な道具を所有する感覚が、自尊心や責任感を抱かせるのです。「刀は伊達に差さぬ」といいますが、腰に提げているものは、常に心に携えている忠義と名誉の象徴でした。刀は生涯の伴侶として愛され、特別な名前もつけられ貴ばれたのです。それはほとんど崇拝に近いものでした。刀に対する無礼は、持ち主を侮辱することと同じ。置かれた刀を不注意にまたいでしまうということは許されなかったのです。それだけ貴重なものだったのです。

武士道では普段における刀の使用は厳しく制限され、みだりに使う人間は非難され、憎悪もされました。場所をわきまえず刀を振るう者は、それこそ卑怯者であり、傲慢と見なされたのです。自制心を持った武士であれば、刀を使うべき正しい時を分かっていました。有名な諺にも「負けるが勝ち」といいますが、その意味は「真の勝利は、暴れる敵に逆らわないことにある」というもの。他にも「血を流さずして勝つをもって最上の勝利とす」など同様な言葉はいくつかあります。このことは結局、武士道の究極的理想は平和にあったことを示唆しているのです。

無双直伝英信流に「鞘の中(うち)の事」とあります。
*居合いの極意とするところは、常に鞘の中に勝を含み、刀を抜かずして、天地万物を和するところにある。
*鞘の中とは、心気を冴えさせ、刀を抜かずしに対手を制止(勝つ)する業をいう。

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